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2016年1月7日

インスピレーション:母語を忘れるなんてこと

わたしたちがモレスキンノートブックの上で考えごとをするとき、ほとんどの場合は、おそらく「ことば」によって行われているでしょう。しかし、その考えごとで使っている「ことば」が「私たち自身ではない」ということはほとんど意識しません・・・

今日は、詩人・翻訳家の関口涼子さんのエッセイを読みながら、「ことば」について考えごとをしてみましょう。オリジナルの文脈からごく一部しか引用していませんので、ぜひ全文をWIRED.JPで読んでみてください!

AngieHIver
ドイツのデュッセルドルフ在住 Angie H. IverさんのmyMoleskineより

「…もともと大学に入ってからフランス語をはじめました。とくに国際的な家庭環境であったわけでもありません。フランス語を選んだ理由も、弟とは違う言語で、かつ料理がおいしそうなことばを選んだというだけです。

大学在学中に、1年間フランスのナンシーという小さな街に留学しました。せっかく留学するなら、日本人がいない街を、と思って選んだのですが、寒い冬になると本当に1人も日本人がいなくなってしまいました。当時国際電話も高く、インターネットもなかったので本当に半年間、日本語にまったく触れませんでした。そのとき、思ったのは「母語ですら忘れてしまうんだ」ということです。

もちろん、毎日使っているので、フランス語は上達していきます。一方で使わない日本語のことはどんどん忘れていく。「忘れる」というよりも、日本語という岸からかなり沖まで出てきてしまったという感覚です。戻れないかもしれないと思って、それが少し怖かった。

いまは、意識して自分の読書の7割くらいを日本語にするようにしています。もちろん、日本語が話せなくなることはないと思います。ただ、定期的に使わないと自分の母語で創作できなくなってしまうのです。

長くフランスに住んでいるアラブ人の作家が、「アラビア語では書けない。フランス語で書く」と言っているのを聞いて、母語で書かない人たちに驚いていた時期もありました。ただ、ずっとフランスという日本語から離れた場所にいると、それも当然のことだと思うようになったのです。…」

partition

「…どんなに偉大な作家であっても、ことばそのものに比べれば貧しいのです。自分の貧しさに気づくことは、悪いことではありません。自分ひとりがことばの豊かな世界を独占しているような気分でいるよりずっといい。結局のところ、ことばは自分にとって他者でしかないのです。

外国語に触れることで、わたしは異なる2人の他者と接することができました。そのおかげで、日本語と距離をとって接することができたし、自分自身の一部だと思っていた日本語が他人であることに気づけました。しかも、放っておくと遠くにいってしまう存在です。そういう意味ではわたしにとって、ことばとの関係は綱渡りです。でも別に恐れず楽しく歩き廻ればいい。他の外国語を話さない人にとってもこの関係は変わらないと思っています。…」

全文読もう!WIRED.JP

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