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2017年11月8日

インスピレーション:ミルンのエッセイより『日記の習慣』

イギリスの名エッセイスト ミルンが書いた文章の中に、『日記の習慣』と題した興味深いエッセイを見つけました。日記の習慣が廃れてきたこの時世について思考をめぐらしています。

「……多数の日記は、胸躍るような経験に乏しいので、内面の冒険を書き記すことになるのだと思う。「今日ボンド通りでライオンに襲われた」と書けないにしても、せめて「今日セントポール大聖堂で疑惑に襲われた」と書くことなら可能である。大多数の人はライオンには出会わないので、何も書かないか、それともせいぜい「理髪師の硬いブラシでやられた」程度のことを書くのである。しかし、何かしら書きたいという人もいて、そういう人は内面についてなら、自分独自のことが書けるのである。

myM_MelisaSener
Image by Melisa Sener from myMoleskine

「しかし、日記をつけるあらゆる人の心には、自分の日記がいずれ公表されたらという願望があるのは勿論である。いつか未来の世代に発見され、二十世紀人は素朴なことしかしていなかった驚かれるかもしれないし、あるいは、亡くなったばかりの偉人の内面生活を知りたい願う次世代によって出版を要請されるかもしれない。一番よいのは、日記が書き手自身によって自叙伝の中で活用される場合である。

そう、日記をつけている人は将来自伝を書くことを視野に入れておかなくてはならない。自伝で、すっかり忘れていたことについて、「覚えているが」とか「はっきり覚えているが、日曜に昼食で某氏と会い、彼にこう言ったのだ」と書けるためには日記がなければならない。

何を言ったかはどうでもよい。優れた著者が老年においても素晴らしい記憶力を失わなかったと読者に思わせるのに役立てばよいのだ。」

アラン・アレクサンダー・ミルン『日記の習慣』より一部抜粋
行方昭夫 編訳『たいした問題じゃないが』(岩波文庫)

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